<閑話休題>

(今想うこと) 最近NHKで見た「顔のシワ取り体操」の顔面の動きが、私が知ったかぶりで取り入れているベルカント唱法(あるいはベルカント唱法だと思い込んでいる)の発声法にとてもよく似ていました。ということは声帯筋のトレーニングの(副作用ではなく)「副効果」としてカンバセ(容姿)の美容にも役立っていることになります。では「副効果」ではなく「主効果」とは何でしょうか。

「聖歌隊につどう私たち全てが、個人個人の音楽的技術に関係なく神様に向かって心をひとつにして祈りを歌い上げる喜び、安らぎ」というのは私たちが抱いているきわめて重要な想いではありますが、やや抽象的なお題目に響きます、が思い切り具体的に「主効果」を身近に感じた例があります。それを今日はご披露したいと思います。

 

昭和31年(1955年)4月に桃高に入学した松田・高見沢・花木の諸氏と私が共にアンデレ教会で出会った時期に、当時一大人気を誇った男性カルテット「ダークダックス」にあこがれて4人で歌い始めました(カルテット名Dust on church:教会の塵)。

 

昭和30年代後半、当時幼稚園園長で幼児教育の先端に立たれていた故高見沢国子さん(高見沢君の御母堂)に公私共に私たち4人は可愛がっていただきました。あるとき確か鶴橋の近くの幼稚園長の職に居られた「高見沢のおばちゃん」(当時私たちはそれぞれの母親を「おばちゃん」と呼んでいました)国子さんから、園児の前で歌う機会が与えられました。

 

未熟ではありましたが一生懸命歌い、終了後に「ほんまによかったよ。ありがとう」とほめていただき、そんな時いつも「あんたら男前やね」とニコニコ付け加えていただき4人とも「えへへ」と照れるのが常のパターンでした。

 

月日が過ぎ、色々な人生の山坂がありながらもわれら4人は尚、生きながらえて、あるときから4人で歩こうということになりました。熊野古道を踏破し、続いて伊勢街道踏破、更に調子に乗って中山道踏破の道半ばにあった私たちの出会いから約半世紀後の2008年(平成20年)のことでした。

 

当初中山道踏破予定日にしていた年末のある日、高見沢君から私たちに、「母の余命が幾ばくもなくなってほとんど意識もない状態なので、枕頭で4人で聖歌を歌ってくれないか」という申し出がありました。かねてから、ある程度予想していたとはいえ、友人の家族の一角が崩れるという想いは私たちの戦後の昭和時代の具体的なひとつの終りが始まるんだ、という募る気持ちがありとにかく馳せ参じました。

 

「高見沢のおばちゃん」が静かに休んでおられる部屋に入る前には厳粛な気持ちで4人とも緊張し、お耳に届けばいいな、と念じながら歌っているうちにナント「おばちゃん」が意識を取り戻されて微笑まれました。そしてその後に、ずっと昼夜を分かたぬ篤実な介護に努められてきた高見沢ご夫妻でさえ驚かれたことが起こりました。意識を取り戻して微笑まれたことでさえ畏敬と驚愕の念でいっぱいでしたが、とにかく歌い終わった瞬間に、昔懐かしい優しい笑顔で、「男前やなあ」といわれたのです。

 

それから1週間、明けて翌2009年(平成21年)1月3日94歳11ヶ月の長寿天命を全うされ「高見沢のおばちゃん」は神に召されました。よく聴覚は死の直前まで働くとは聞いていたし、家内の母の死の直前に話しかけたとき一旦停まりかけていた脈拍が一時復活した経験もあります。でも大好きな聖歌に意識を取り戻され、微笑んで語りかけていただいたことは、私たち4人にとって望外なことであったのは論を待ちませんが、天に召されようとしていた「高見沢のおばちゃん」にとっても望外な喜びであったことを「高見沢のおばちゃん」自身の微笑と優しい言葉から知らされたのです。

 

こんな大きなプレゼントをいただいたおかげで、まさに歌で気持ちを届け、託せるのだ、という歌の「主効果」の大きな実体験をすることができました。

 

「高見沢のおばちゃん」国子さん本当にありがとうございました。

 

 

「高見沢のおばちゃん」を偲んで 

 

Dust on church 美濃部克己

 

For our unforgettable dear old reminiscences and great appreciation to our and God’s beloved ‘Obachan’

 

忘れ得ない懐かしく古きよき想い出と私たちと神様が愛して止まない「おばちゃん」に万空の感謝を込めて

 

平成26年(2014年)6月23日 

 

さあ皆さんこれからも楽しく心を込めて歌い続けましょう。