<閑話休題>

3月29日(日)に日曜礼拝に行きました。義平先生のお話に目から鱗の経験をしました。私の思いで意を尽くせませんがご紹介します。

キリストの死後60年くらいに書かれた最も古い福音書のマルコ伝の記事によりますと、キリストは十字架上での死に際して、ヘブライ語のパレスチナ方言だといわれるアラム語(キリストが日常使っていた言語らしいのですが)で「エロイ エロイ レマ サバクタニ」と叫ばれたとあります。(マルコによる福音書15章33節)これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味だそうです。

キリストは既に自分が全ての人の罪を背負って十字架に架かることを知っていた覚悟の死であるのにどうして神に対する恨みとも取れる弱音を吐くのか、はキリスト教信仰を目指す人にとっては通常理解しにくい要の部分だと思うのですが、あまりはっきりした解釈を聞いた記憶がありませんでした。義平先生がこの部分を捉えて、東北大震災で津波に押し流された少女の体験と重ね合わせて次のように話されました。津波に押し流された少女がやっとのことで瓦礫のところで手がかりを得て一息入れていたとき、無事かどうかを懸念していた母親が釘と瓦礫で傷つき動けない状況で偶然同じ場所で遭遇しました。少女は必死で助けようとしましたが自分のか弱い力ではどうにもならず、自分の身も危なくなってきたので「助けて,行かないで」と呼びかける母親に「お母さん大好きだよ、ごめんね」といって離れて辛うじて助かった、ということです。この少女が今回の震災記念式典で述べた放映は私も多くの方がテレビで見られたと思います。義平先生のお話の意図は、この部分私の貧しい理解でしかないので妥当かどうか心配ですが、私はお母さんと少女とのやり取りは生と死に際した土壇場のぎりぎりの本音であり、この本音を、共有する「人としてのキリスト」の叫びと重ね合わせられたのではないかという気がします。さらにここからは私の「目の鱗」というか勝手な想いなのですが述べさせていただきます。

約半世紀前、私は遠藤周作1966年に書き下ろした17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した 歴史小説「沈黙」(新潮社から出版され、江戸時代初期のキリシタン 弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を命題に描いた作品)を読んでキリスト理解が始まったと思っていました。が3月29日義平先生のお話を聞いて半世紀ぶりにその理解に若干疑義が生じました。

うろ覚えによると、転ばない(棄教しない)バテレン宣教師をキリシタン禁制の幕府方針を遵守するために、なんとしても転ばせたい奉行(長崎か?)が何の咎もない一百姓を捕らえて尋問中のバテレンの牢獄の隣の獄で逆さ吊りにし、「百姓に何の罪もないことはわかっているが、お前が転ばないためにその百姓が命を落とす羽目になっている、果たしてこれはお前の奉じるキリスト教の義といえるか」と問いただす場面があったと記憶しています。煩悶するバテレンに夜半、キリストが夢に現れ「私が何故飼い葉桶にうまれ、人間の罪を背負って十字架に架かったのかがわかるか。罪のない百姓の命を救うためであれば、踏み絵など踏み倒せ」という意味の場面に、はたとキリスト理解が一歩進んだと思っていました。しかし義平先生のお話を伺って、上記キリストの夢の中の言葉はそうではないのではないかとの想いを持ちました。その理由は、先ずそのキリストの言葉は、言葉の内容如何に拘わらず、どう表記しようと、バテレンに対するキリストのいわゆる「上から目線」の「教え諭す」姿勢であり、本質的に神との関係で生きるキリストの姿勢とは相容れないのではないかと思ったのです。死に際して三位一体のキリストは人として身をもって自分の弱さを見せ「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶことによって、もっとも弱い人間に寄り添ったのではないかという想いでした。とすると「沈黙」に現れたキリストのバテレンにかけた言葉は「苦しい思いをしたね。罪のない百姓の命を救うためであれば、私も踏み絵を踏むよ」であったのではないかなとふと思いました。「沈黙」の記憶もセリフもほとんどあやふやですからひょっとすると完全な思い違いかなと懸念しますが、聖歌隊の皆様方いかがでしょうか。今回は推敲も訂正読み返しもせず、事前の義平先生の了解もいただかず見切り発車をします。居酒屋での酒の話題で想いをお聞かせください。